史彩監査法人 代表パートナー 公認会計士 伊藤肇 執筆
1.新たな上場維持基準における東京証券取引所の動向
原則として2030年から「上場5年経過後時価総額100億円以上」に見直しすることに変わりはありませんが、新たに上場会社が追加期間を設けて新基準への適合を目指す計画を開示する場合、その計画期間はグロース市場への上場を例外的に可能とする案が公表されました。併せて、スタンダード市場への市場区分変更申請案も公表されています。
フォローアップ会議のメンバーの意見は割れており、2025年9月には制度要綱が公表される予定となっています。
2.証券会社の動向
グロース市場の新規上場に係る基準の引上げは行わないことも公表されていますが、新規株式公開後に思うように株価が伸びない「名ばかり」成長企業の新陳代謝を促して、グロース市場に機関投資家を呼び戻すことが上場維持基準の改正の目的と言われています。さらに、時価総額が小さいいわゆるスモールIPOはその後も株価が伸び悩む傾向が顕著になっています。
そのため、特に大手の証券会社では、主幹事証券を新たに引き受ける対象企業を、上場時における予想時価総額が100億円以上、あるいは200億円以上までハードルを上げてきていると言われています。上場時の時価総額は100億円以下であっても将来の成長が有望な企業の案件を引き受けている証券会社もありますが、総じて制度変更等の方向性や市場動向の見通しが立つまでは、主幹事引受けを自粛するケースが主流であり、需給バランスが崩れて、主幹事証券難民問題が深刻化しています。
これはIPO数の減少として表れており、ここ数年90社前後であったIPO数が2025年は60社前後にまで減少すると見込まれています。
3.グロース市場上場を目指す企業への影響
影響は画一的ではなく様々です。まず、上場後の時価総額が見込まれないことを理由に主幹事証券契約を打ち切られるケースがあるようです。あるいは、従来はグロース上場を目指していたところ、スタンダード市場の上場基準を満たす場合には、スタンダード市場への上場へ切り替えているケースもあります。グロース上場を断念した企業はTOKYO PRO MARKET(以下、TPM)あるいは名古屋証券取引所ネクスト市場(名証ネクスト)に切り替えて上場を希望する企業が数多く存在しているようです。東証の本則上場とTPM、名証ネクストでは、主幹事証券(TOKYO PRO MARKETではJ-Adviser)の引受機関が一般的には異なりますので、仕切り直しになりますし、名証ネクストでは必ずしも希望通りに主幹事証券が見つからないケースもあります。名証ネクストでのIPOを目指す場合には、IPOに精通した専門家や監査法人に相談されるとよいでしょう。
今回の上場維持基準の改正により、総体的にIPOのハードルが上がったことは事実であり、これまでグロース上場を目指していた企業の多くがIPO達成に不安を感じています。J-Adviserのいくつかは、今回の改正を商機と捉えて、グロース上場を目指している企業や目指していた企業に熱心にTPM上場を働きかけているようです。
4.東証グロースとTPMの双方の上場を目指す場合の留意点
ところが、グロース上場とTPM上場をグロースのN-1期にTPMのN期というようにTPM上場の翌期にグロース上場を狙うのは両者が同一の主幹事(J-Adviser)でない限りは、実務上の相当な困難を伴うということには注意が必要です。これはTPMの審査対応とN-1期での証券会社の審査対応が重複して、審査が円滑に進まなくなることが明らかであり、グロース上場に障害が発生することが予見されるからです。場合によってはグロース上場をあきらめざるを得ないケースも想定されます。多くの会社ではグロース市場への上場を本来の目的としていると思いますが、TPM上場を経てからグロース市場上場を目指される場合には、主幹事証券に相談して、同意を得てからとするのが賢明であると思われます。
5.IPOの未来予測
米国では上場会社数が26年間でおおよそ半減するなど、多くの先進国は上場企業数を半減させてきました。一方、わが国ではこの42年間で上場会社数が60%以上も増えており、また、今回議論となっているグロース市場の低迷もあり、日本も同様の市場改革をすべきだとの意見が優勢となっています。この流れは日本でも必然的に進展していくでしょう。一方で、プライム企業などの優良株とグロース市場株式の株価はトレードオフ的な動きがあると言われており、プライム企業の株価が低迷するような時期が来れば、逆にグロース市場が活性化する未来は確実に来るものと思われます。
上場企業の新陳代謝がわが国でも定着し、IPOが証券会社にもビジネスとして成立する環境が整い、前途有望な会社によるIPOが再び活況となる時代が来ると確信しています。